2023年1月23日月曜日

平均律第一巻 序

 「うまく調律されたクラヴィーア(Das Wohltemperirte Clavier)、あるいは、長三度つまりドレミ、短三度つまりレミファにかかわるすべての全音と半音を用いたプレリュードとフーガ。音楽を学ぶ意欲のある若者たちの役に立つように、また、この勉強にすでに熟達した人たちには、格別の時のすさびになるように。元アンハルト=ケーテン宮廷楽長兼室内楽団監督、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが起草、完成。1722年。」

バッハは、平均律第一巻の冒頭に、このような記載をしている。

旧約聖書といわれ、だれもが必ず弾くものだろうけれども、何度上っても滑落する美しい山のようで、リセットのとき、練習を始めるとき、練習を終えるとき、取り出して弾くようにしている。そして練習を終われずに夜が更ける。はたしてこれもまた、時のすさび、というのだろうか。

わたくしにとってはぼちぼち4周目ぐらいの平均律であるが、何度通った道でも、迷い、戻り、時に足を取られころぶ。近頃はドライアイと調節障害との闘いである。脳トレ、イメトレ、拘縮予防、フレイル対策、なんとでも呼ぶがよい。とにかく平均律を引いている限り、ボケることはない。

今は、様々な版があり、勉強もしやすくなった。

使っている楽譜は

ヘンレ版運指なし

ヘンレ版:シフ運指つき

ムジカブダペスト版:バルトークによる解釈版

ベーレンライター版:

主に運指なしのヘンレで自分のものを作るようにしている。

運指については、手の都合もあるからあまり参考にしていない。すべての楽曲において、大きな白人男性の運指は役に立たない。自分の耳を信じることだ。

ムジカブダペスト版は、バルトークによる解釈版で、彼いわく、の、難易度順になっている。アーティキュレーションなど、かなりわかりやすいので、最近は参考にすることが多い。そして、孤軍奮闘ですごく苦労したあとに、あっけなく弾けたりして、悔しい思いをする。バルトークすごい。

さて。愚痴はともかく、各曲の記録をしておこうと思い、この項を書き始めた。

2年前からの演奏順は

第一巻

4,7,8,12,15,19,20,23,2,3,6,9,13,21,10,11,14,17,18,5,1,16,24

2023年1月現在22番チャレンジ中。

今後各曲の記載を試みます。




2022年5月30日月曜日

子供の情景

 連載企画・小品を弾こう

2020年1月からの新しい時代、ピアノとの向き合い方は少し変わったように思う。

以前は、コンクール、とか、演奏会、とか、そういう公開の場所を作るのが目標だったのだけど、その機会が激減した結果、何のために弾くの?という根源的なところを考えざるを得なかった。最初のロックダウンのころ、オンライン演奏企画が流行した。会議システムがオンライン化し、ライブ動画でのコミュニケーションが飛躍的に可能になったからだ。

しかし、実際やってみると、音楽というものは、複雑だった。演奏する人、楽器、場所、観客、天気、湿度、時代、良い知らせ、悪い知らせ。全部包括して、やっとその演奏がなりたつのだ。わかっていたつもりだったけど、実演から切り離されると、こんなにも活動が難しいというのは、衝撃的でさえあった。もちろん、動画配信などでつながり続けることはできる。それは重要だし、逆に遠い世界の人と、それまでは会うことさえなかった人と、同じ時間を共有できた、それは素晴らしかった。

さて、実演から切り離されると、自分が何をしたいのか、という問いはずっと持ち続けていた疑念だったことに気づいた。いままでは、演奏会があれば、その時に向かって、とにかく仕上げるのだ。それも、客が好きだろうなと思うものを。これ受けるかな、という曲を。

演奏会がなければ。何を弾くか。何のために、弾くか。

自分のためである。隣の部屋でうるさいなと思っている家族のためである。そして、音波としてではなく届くであろうどこかで、聞いてくれる何かのために弾くのだ。

そうしたら、選ぶ曲は、おのずと地味になり、小さくなった。

派手な、客受けする曲は、ない。心の琴線に触れるような曲を選ぶだろう。

そんな中、企画・小品を弾こう、が生まれたのは、2020年の夏、友人をこのウイルスで亡くし、演奏会が4つ消えたあとであった。

企画といっても、わたしが勝手に弾くだけだけど。

第一弾は、ロベルト・シューマンの「子どもの情景」にした。

「トロイメライ」や、「異国から」など、おそらく導入期のこども時代に弾くことが多い小品から成る曲集だが、実にシューマンらしい珠玉の曲集だと思う。

ということで、内容は第2回から、の予定。




幻想曲 作品49


Chopin, Frederic:Fantaisie f-moll Op.49 CT42

幻想曲。

どんな曲が幻想曲なのか。

決まった形式を持たず、作曲者の自由な発想で展開される作品、とかなんとか、音楽辞典には書いてある。つまり、どんな形式でも良いらしい。

わたしは小さい時から、変奏曲が好きだった。幻想曲と名の付くものは、大型の変奏曲であることが多く、したがって、わたしは幻想曲も好きである。モーツァルトの幻想曲ハ短調が原点かもしれない。

さて、ショパンの幻想曲。

冒頭の葬送風の部分はゆ~き~のふ~るま~ちを♪の元曲?としても有名であるが、中田喜直氏は引用とは言っていないようで、オマージュ、なのかな。

序奏 Marciaと記載、そして、Graveの指示。なんの行進だろうか。葬送なのか、行軍なのか。同じように弾かず、例えば2回目には左手の上を強調する、とか、大きくフレーズ感をとるようにして、重厚であっても前に進むように演奏したい。フレーズの最後を終わらせずに、次へつなぐようにとるとよい。

一転、三連符の移行部で変容する。クレッシェンドしながら、最高音Fに至り、フォルテシモで下降する。バスの音を大事に響かせるのは大切だが、あまり大仰にしないほうが良いと思う。この序奏部分、フラメンコのsalidaという導入部のように、と思って弾いていた。主役を呼ぶための、大事な導入部。

提示部 68小節から、agitatoでせき込むような主題が提示される。左のバスは上昇しながらせまってくる。そして、a tempoで主題がでる。すべてはこのa tempoのため。

展開部 143小節~
主題はヘ短調から変イ長調へと立ち上がってくる。壮大さを十分に感じられる箇所である。これでもかというほど、多彩なパッセージが繰り出される。が、理解不能なものがなく、エネルギーの向きはわかりやすい。転調には天才的なものがあるが、終着点を考えれば難しくはない。ポジション奏法の実践に最適な部位や、大型のアルペジオの実践も左手で堪能できる。小さく切り取ればエチュードとして有用だと思ったものだ。

ロ長調という冥界的な調に展開するlento sostenutoのエピソードでは、技術よりは感性というか、情緒というものがとても大切になると思う。技巧だけやらかした奏者では聞くほうがつらい箇所ともいえる。

再現部 236小節~

変ロ長調に展開したのち、各主題が再現されてくる。調性は変ロ長調のまま。イメージは前向きである。

コーダ 309小節~

322小節からは変イ長調のコーダになる。変イ長調のまま、assai allegroで輝かしく終わる。この曲はバラードと同じような多彩な構成成分を持つ楽曲であるが、コーダに関しては、演奏難易度は高くない。したがって、バラード4番などよりはアプローチが楽ではないかと思う。余談であるが、ジョルジュ・サンドとの喧嘩と仲直りを書いたという説がある。

幻想ポロネーズを弾くと、幻想曲だと思う。幻想曲を弾くと、ポロネーズだと思う。ショパンの中では、この二曲、同じようなものだったのではないか。葬送の重い足音、ソナタ2番の三楽章に通じる、終着点のない道行。しかし、この曲は、最後に、天を仰ぎD-durの和音で昇天するように終わる。希望をもって、終わる。そのように作っていきたい曲である。

長い曲で、14分ほどの演奏時間、全体像をどう展開するか、考えながら弾かないといけない。構成力を問われる。そういう意味で、大変勉強になった重要な曲であった。

この曲のあと、ソナタを弾いた。一つの楽章が6分程度で、場面が切り替わるソナタというものは、映像を作りやすいものなのだと、妙に感心したものである。だから、こういう長い曲も、ソナタの楽章が切れないバージョンだと思ってもいいのかもしれない。

音源はツィメルマン師匠の、1987年のリサイタルから。

https://youtu.be/A-GjbRtlweg


2020年11月25日水曜日

ノクターン 作品62-1 (夜想曲 第十七番)

 Chopin, Frederic:Nocturnes Nocturne No.17 H-Dur Op.62-1 CT124

ポリフォニーの音楽。作品62-2と共に出版、同じケンネリッツ嬢に献呈された。

冒頭のカデンツァは唐突な感じを受けるが、前奏であろう。こういう部分がある曲は、ピアノの調子やその日の倍音の響き具合などを試すことができて、ありがたい。

ロ長調。ゆったりとしたこの曲では、澄み切った美しい印象を作る。

第一主題。左の伴奏音型では、二拍目に少し重さがある。小節線はあまり役に立たない。バロックの踊りのような感じだろうか。主題は右のソプラノだったり、アルトだったり、いくつかの不確定な声部に内声として再現されてくる。これもポリフォニックでフーガ的である。しかし、あくまで優雅。

経過部分、21小節からは、左にシンコペーション(オスティナート)。13番のノクターンでは強い印象を与えた音型だが、ここでは、少し進む印象はあるが、あくまで、優しい。その上に、コロラトゥーラのようにソプラノが、控えめに歌う。霧の湖面に、そっと風が吹くように。わずか4小節の経過分だが、おそらくこの曲で最も感性が問われる部分だと思う。繊細に繊細に。音量変化も、音色変化も。

中間部は、変イ長調になる。霧の向こうに、進んでいこうとする。左手に推進力がほしいが、引き戻されるような感覚も欲しい。

トリルの中に旋律を埋め込む技法で、確かに演奏難易度は上がるわけであるが、左でしっかり音楽を作り、リズムを作り、右手は、ハチドリのようなトリルの中で歌わせることになる。なんてことはない、という感じで弾きたいわけである。この技法、少々前の時代にベートーヴェンもエロイカ変奏曲で用いている。フォルテピアノのほうが演奏しやすいのかもしれないと思う。

コーダはやはり舟歌なのだろう、わずか4小節だが、ロ長調に戻るための重要な経過部があり、再現部のロ長調になる。この経過部は、4声のポリフォニーで、気合入れて作った部分なのだろう。見事に、ロ長調に着地する。

遠くへ、漕ぎ出してしまって、後ろ姿を見送っている。オスティナートのリズムに、ソプラノは軽く、軽く、消える様に。ずーっと通奏低音のようにHの音が鳴り続ける左のベースの響きを大切に、良い感じに歌がからむとよい。

消えてしまった、と思うような響きで、ペダルの使い方を繊細に最後の少し東洋的な音を楽しみたい。

この作品62の2曲は、水の形をした宝石のようだと思うのである。

ショパンという作曲家がこの世に生まれてくれて、本当にわたしたちは幸せだと思う。

演奏動画はショパンコンクール2015年、第一次予選のケイト・リウです。

https://youtu.be/UFlIvrEZ3nU

2020年10月26日月曜日

ノクターン 作品62-2 (夜想曲 第十八番)

 Chopin, Frederic:Deux Nocturnes Op.62 Nocturne No.18 E-Dur Op.62-2 CT125

1836年に作曲された作品62。ショパンの弟子のひとりであった、Mademoiselle R. de Könneritz (Madame von Heygendorf)に献呈されている。

作品60は舟歌。作品61はポロネーズ「幻想」、作品63は彼の存命中に出版された最後のマズルカ。子犬のワルツや嬰ハ短調のワルツを含む最後のワルツ、作品64、そしてチェロソナタ作品65。作品58のソナタ3番、作品59のマズルカに続く、この一連の作品群は、ショパンの傑作の森、といえる。

作品62-2には、ショパンの作曲技法が沢山、織り込まれている。冒頭の伴奏音型は、バス声部に、和音の連続で中声部が乗り、6度の経過和音から1度に終止する形式。音楽は左手で作ると言われるように、この伴奏型を、さりげなくバスを響かせ、和声の倍音をゆるやかに載せるように響かせることができたら、素晴らしいことだろうと思う。そして、その上に、牧歌的な穏やかな旋律が歌う。

中間部、左手の波のような、クロマティックエチュードのような間奏に、息の長い右手の旋律がのり、何かが起きる予感をさせたのち、追い立てるようなリズムが特徴的なほの暗い激情が顔をのぞかせる。ここは右手の高音部で旋律を、右手の低音部でその伴奏を弾き分け、左手はリズムを刻みつつ、右の和声と呼応する、という演奏技術的には高度なものが要求される部分である。和声の変化にも、山を登る部分と、焔を消そうとする部分がある。注意深く、消火活動をして、再現部の穏やかな空気を入れることができたら、最高だと思う。

E-durという、輝かしい調性で、最後のノクターンが作られた。本人は最後だと思っていなかっただろうけれども、この曲には、ショパンが到達した、穏やかな境地が感じられる。この人は、ずっと旅人だったのだと思う。揺蕩うような、ゆるやかなリズム、舟歌のような感じがする。月の夜、小さな舟で、鏡のような湖に漕ぎ出した。急に風が吹いて、湖は荒れたけれども、祈っていたら嵐はおさまった。岸辺には、穏やかに微笑む水の精が待っていた。というような感じに弾きたいと思うのである。シフィテジの、湖の、悲劇のバラードの、悲しい記憶をなぐさめるように。

ショパンのノクターンを弾き進めていたころ、ポリーニの録音が素晴らしくて、作品62の二曲に無謀なチャレンジをしたのだ。結果的には、完成度の高い作品だったので、それなりの演奏になり、すっかり気をよくして、無謀なチャレンジを続ける原因になった、わたくしにとっては因縁の曲である。

参考音源は、2015年のショパンコンクール第2位のシャルル・リシャール=アムラン君。

https://youtu.be/9mlAY_sxRYA

と、その師匠のダン・タイ・ソン師、1980年のショパンコンクール予選

https://youtu.be/BseUi3Qs5p8

今はライブで視聴できるコンクールになりましたが、1980年ごろは、2日ほど遅れて優勝のニュースが届くような時代でしたなあ。


2020年10月20日火曜日

庭の花

気がつけば、原種シクラメンが咲いている。
アンナオリビエは咲き続けで、秋色がきれい。

2020年9月18日金曜日

ノクターン 作品37-2 (夜想曲 第十二番)

ノクターン 作品37-2

Chopin, Frederic:Duex Nocturnes Nocturne No.12 G-Dur;Op.37-2; CT119

1839年に作曲された二つのノクターンの、2曲目。

このころ、恋人ジョルジュ・サンドと、マヨルカ島で過ごそうと旅立った。この曲は、おだやかなアンダンティーノ、6/8の左手の伴奏アルペジオの上に、三度、六度の重音できらめくような右手の旋律が乗る。途中には、凪の寄港地のような、舟歌のような、まどろみの中間部があります。

穏やかな海、陽光がキラキラと輝く。ゆるやかな風、船はゆっくりと、憧れの島へ向かって、太陽に向かって、進む。

そんなイメージの曲なのです。ショパンは、冬のパリから逃げ出したときに、恋人と、南国のあたたかな太陽のもと、きらめく海の近くで、病気を治そうと思っていたのしょう。噂にならないように、途中で落ちあって、サンドの子供たちも一緒に。

第一主題とその変奏、G-durと書かれていて、初めて主調に気づく曲かもしれません。頻繁に転調する主題の中に、あまりG-durは出てこない。落ち着き先のない、浮遊するような調性の移ろいを、不自然さのないように流麗に演奏してほしいところです。右の重音旋律も、左の大きなアルペジオも、難しいです。ペダルも繊細に使いたい。

中間部のC-durから始まる第2主題は、ポーランドの民族的旋律といわれています。舟歌のようで、コラールのようで、ゆたかな平穏を表したいところ。ここも繊細な転調を繰り返します。転調をたどってみると、C、E、Cis、fis、as、F、Hes、D、G、かな。主調に辿り着くまでにこんなに紆余曲折。

全体をながめてみても第一主題再現部、再再現部には多様な転調があり、特に再現部は、低音部の半音進行がころころと変わる行き先のようで、奏者にとっては難解な迷路を生む。そして、短いコーダで、初めてG-durで第二主題が奏でられ、終止となるのだが、本来輝かしいはずのG-durの第二主題に、消えてしまうような寂しい印象を受けるのはわたしだけでしょうか。

残念ながら、この年のマヨルカは雨が多く、大事なプレイエルのピアノはなかなか届かず、田舎の村は排他的で、滞在する場所さえ見つけるのが困難、ショパンの結核は治るどころか、悪化してしまった。この曲は、そんなマヨルカの、夢。

わたくしにとっては、思い出深い曲であります。とてもとても忙しかった時期に、息が詰まりそうで、毎日夜中に依存症のようにピアノを弾いていて、ノクターンを全部弾きたいと言って、当時習っていた先生を困らせていた。冬にさしかかるころ、これを持っていって、難しいよと脅かされ、左の分散和音の音色だけで1時間のレッスンが終わることもしばしば、半年かかってなんとか人前で弾ける程度に仕上げたものです。持ち曲になり、ほかにはあまり弾かれない曲のようで、わたくしの印象として覚えていただいていることも多いようです。しかし、高温多湿の梅雨明け猛暑の日本で弾いたときは願望から程遠く、梅の咲いた2月のほうが、イイ感じにドライに弾けたのでした。

音源は、ポリーニの録音を拝借です。

https://youtu.be/UmkW7JZibxg



平均律第一巻 序

  「うまく調律されたクラヴィーア(Das Wohltemperirte Clavier)、あるいは、長三度つまりドレミ、短三度つまりレミファにかかわるすべての全音と半音を用いたプレリュードとフーガ。音楽を学ぶ意欲のある若者たちの役に立つように、また、この勉強にすでに熟達した人た...