2020年6月15日月曜日

音楽とわたし

音楽とは長い付き合いで、4歳からピアノを弾いている。

どういうわけか、職業音楽家にはならなかった。そこそこ学業が良かったので、経済成長真っ只中のこの国で、けっこう稼げる仕事が見つかってしまったためだろう。医者の仕事は、バブル崩壊も、リーマンショックも、阪神淡路大震災も、東日本大震災も全く影響がなかった。昔ほどおいしい職業じゃないという先輩たちもいるが、遺伝子の時代にこの仕事ができたことは素晴らしいことだと思っている。
音大には行かなかったが、音楽と離れることはなくて、大学時代にはソロだけでなく、室内楽やオーケストラで弾かせてもらい、軽音楽でもキーボードを弾いていたし、チェロも弾いていた。
職に着くととても忙しくて、鍵盤にさわることもなく10年がたった。結婚したときに夫がピアノを家に持ってきてくれたので、そこからなんとなくまた弾いた。
真面目にやっているのはここ10年ぐらいのことだ。昔弾いたものをまた弾き、基本の基本をまたやりなおし、劣化した筋力、動態視力、記銘力の対策が最大の課題になった。
でも。年を取るのはいいことで、たくさんの素晴らしい演奏を聴き、巨匠からもたくさんの貴重なレッスンを受け、時代もたくさんの情報をくれるから、昔より素早くいろいろできるようになっている。
若いときのように、技巧だぜ!という曲は、やっぱり弾きたいけど、つまんないな~と思っていたような種類も弾きたくなり、人に聞かせなくても弾きたくなり、完璧に弾くことはむしろ出来ないのだけど、こうしたら素敵かな、と思って弾いている。

2020年、未曽有のCovid-19危機、否応にも、この東京で、この人々を、どうにかしなくてはならなかった。防護服の中で、生きていることとか、自分はこの世界でどう役立てるだろうかとか、本当に大切なものとか、いろいろ考えた。
とかく厳しいタイプであったが、少しだけ他人にはやさしくなったかもしれない。(むしろ冷たくなったのか)
混乱から逃れたときに向き合いたくなったものは、やはり、人類の膨大な財産である芸術だった。聞けないとなれば、ベルリンフィルが無性に聞きたかった。
適当にやってきたものにも、正面を向こうと思った。踊りやチェロのことだ。いろいろ劣化しているけど、バレエもフラメンコもチェロも、頑張ってみようと改めて思った。

音楽はすべての基本で、すべてを含んでいる。うれしいことも、かなしいことも、おそろしいことも、すてきなことも。そのすべてを、できることなら、素敵に表現したい。
それが、今、私が目指す場所。

平均律第一巻 序

  「うまく調律されたクラヴィーア(Das Wohltemperirte Clavier)、あるいは、長三度つまりドレミ、短三度つまりレミファにかかわるすべての全音と半音を用いたプレリュードとフーガ。音楽を学ぶ意欲のある若者たちの役に立つように、また、この勉強にすでに熟達した人た...