2020年7月20日月曜日

踊りとわたし

たいがい、幼少時にはダンスを習う。
女の子はバレエが憧れ。
いまどきは、水泳とか英語とかいろいろ習い事が多いらしく、ダンスもヒップホップなんかが人気らしい。
わたしも、幼稚園のころにバレエみたいなものを習った。
素質がなかったようで、転居が多かったせいもあり、2年ぐらいでやめてしまったらしい。
ピアノが忙しくなったためでもあるらしい(こちらはそこそこ素養があったらしい)
音楽は好きだったから、舞台を見るのは好きだった。
踊りの伴奏も頼まれたりして、やっていた。難しいものだ。
中高生のときはダンスの授業があって、社交界用であったけど、まあまあ好きで楽しかった。
学生時代はさんざん遊んだし、体育会系のテニス部でもあったし、体力十分だったのだが、社会人になると、ときたまジムに行く以外は何もしなくなり、会議が増えまくって肩こりと頭痛と睡眠障害で死にそうになったところで、大学近くの湯島の裏道に、フラメンコのスタジオがあることに気が付いた。
ちょうど、スペインもののピアノをたくさん弾き始めたころで、なんともリズムが難解で困っていたところ。
これは踊ってみたほうがいいかもしれない、安易な考えで、体験レッスンを受けた。
先生はとても素敵な方で、50歳ぐらいであるが、もともとバレエダンサーだったようで、しなやかで迫力のある踊りで、即入会を決めてしまった。
しかし。たいがい最初にセビジャーナスという民族舞踊を習うのだけど、これが全くできないではないか!!そして、足を楽器のように使う踊りなのだが、これを練習した初日のレッスンの次の日。わたしは駅の階段が降りれなかった。
しかし、肩こりも頭痛も嘘のように消えていて、レッスンの日は22時ぐらいには寝てしまったのだ。
しばらくフラメンコを習い、何回か舞台に出て、はたと気づく。
バレエをやらねばと。すべての舞踊の基本、バレエだ。
ご幼少のみぎりにちいちいぱっぱとやったぐらいで、大人になってからバレエなどできるものだろうか。いくつか体験レッスンに行ったが、どちらさまもお子様からの経験者ばかりで、とてもとてもだめでした。
ちょうど震災の1年後ぐらい、転職も決めて時間ができたものだから、熱心に探したら、あった。ゆるやかに大人に一から教えてくれるお教室が。
そのような経緯で、バレエとフラメンコをやっている。
案の定、センスはないようで、たいして上手にはならない。
やっとトウシューズがはけるようになって、よたよたとパドブレをしている。
しかし、なにが良かったかというと、音楽は踊りであることがよく分かったことだ。バレエの先生にはdraw your big rainbow; let your stars shine brightly as everといわれ、フラメンコの先生には、伝わるように踊って!と怒られる。
そんなふうに、描くもの、切れるリズム、伝えること。これが音楽なんだよなあと思う。
Covid-19の自粛生活で一番つらいのは、踊りがままならないこと。マスクでバレエ、無理です。一番、危うい産業は、踊りの舞台かもしれない。


植物とわたし

小さいころから、鎌倉に住んでいた。
親の仕事にともなって、世界各地(主に西ドイツとスコットランド)にいた。
父の転勤で、国立の丘陵の上に20年ほど住んだ。
どこも、自然が豊かで、庭に花を植えていた。
大学生のころから、都心に住んでいる。家族全員の通勤通学の条件から、新宿にほど近いマンション暮らし。
結婚して、都心にマンションを買った。良い場所だが、所詮、都心である。庭はない。
父の定年が近くなって、鎌倉の家を建て替えた。
良い家と庭ができた。
留学から戻った契機で、横浜の仕事が週1回。
ほどよいので、この1日は鎌倉から通った。
庭を造った。念願の、薔薇が咲く宿根草の庭。
以来、両親は鎌倉の家にいた。父はここで病を得て、海に近いホスピスで亡くなった。
たくさんの植物を試した。ヨーロッパの庭と同じような感じにしたくて。
しかし!ここは日本。高温多湿。しかも海が近い。冬は乾燥する。
試行錯誤10年、はたと気づく。
近くのお寺で元気な植物は、きっと大丈夫。
そして、母も年を取り、わたしも年を取り、重労働ができなくなった。
今や、ローメンテナンスガーデン、という触れ込みの、手抜きの庭。
ですが、よく咲きます。太陽と、雨と風があれば、植物は元気です。



平均律第一巻 序

  「うまく調律されたクラヴィーア(Das Wohltemperirte Clavier)、あるいは、長三度つまりドレミ、短三度つまりレミファにかかわるすべての全音と半音を用いたプレリュードとフーガ。音楽を学ぶ意欲のある若者たちの役に立つように、また、この勉強にすでに熟達した人た...